週刊「SAAを作る」

ドウモー!

Wでーす。

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本格的に蒸し暑くなってきました、皆さん体調管理が難し季節です、ご注意してください。

 お詫びと訂正です、急遽タイトルを変更いたしましてすみません。

色々考えまして、ダイレクトな名前にしたくなりまして変更させていただきました。

私のわがままを許して下さい、申し訳ございません。

 

さてこの週刊「SAAを作る」にちょっと付加価値を付けたくなりまして、

 

今回より内容をSAAの当時の歴史、かかわった人たちなどをご紹介して行きたいと思います。

今後もお付き合いお願いいたします。

 

週刊「SAAを作る」

 

これを作る

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内容

特集コルトの創設者「サミュエル・コルト」

コルトを愛した男たち「パットン将軍」

今回の作業「バリを取り荒仕上げ」

 

特集

コルトの創設者「サミュエル・コルト」

 

サミエルコルト

サミュエル・コルト(英: Samuel Colt、1814年7月19日-1862年1月10日)は、アメリカ合衆国の発明家および工場経営者である。

コルト特許武器製造会社(現在はコルト製造会社)を創設し、リボルバー拳銃を普及させたことで広く知られている。

コルトの発明による産業への貢献は、武器歴史家のジェイムズ・E・サーヴンによって、

「アメリカの武器の運命を作り上げた」と表現された。

 

生い立ち

 

 

↓ 当時のアメリカの風景

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サミュエル・コルトの父親クリストファー・コルトはコネチカット州の農夫であり、

転職して実業界に入った時に家族ごとハートフォードに転居した。

母親のサラ・コールドウェルはコルトが7歳になる前に死んだ。コルトは8人兄弟で、男が5人、女が3人だった。

姉妹のうち2人は子供の間に死に、もう一人は後に自殺した。

しかし、コルトの兄弟は、コルトの職業に意味のある役割を果たした。

コルトの父親はコルトが11歳の時に再婚し、その時から継母のオリーブ・サージェントに育てられた。

コルトは若い時期に乗馬用拳銃を手に入れており、それに魅惑されたことが生涯の職業に導くことになった。

 

↓ 当時の銃は全て先込め式(フリントロック)

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コルトは11歳でグラストンベリーの農場に年季奉公に出され、そこで雑用をしながら学校に通った。

グラストンベリーでは、聖書の勉強の代わりに読んだ科学系の事典である「知識の大要」に影響された。

この事典にはロバート・フルトン火薬に関する記事が載っており、どちらも若い少年に動機とアイディアを与えた。

コルトはその雑用の一つで買い物に行っている時に二重銃身のライフルの成功について軍人の話を漏れ聞き、

さらに5,6度続けて発射できる銃の可能性についても聞いたと伝えられている。

「知識の大要」を読むと、フルトンや他の数人の発明家がそれまで不可能と思われていたことを成し遂げたことを知り、

自分でも発明家になって「不可能な」銃を創ることに決めた。

 

と、こんな人でした、幼少のころからの影響が後に偉大な発明をし、

そして大人になって行く様子は、今後少しずつご案内いたします。

 

「サミュエル・コルト」が生まれた時代

 

1814のアメリカの出来事としては

 

 

米英戦争(べいえいせんそう、英語: War of 1812)は1812年6月1814年12月

イギリス及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族と、

アメリカ合衆国との間でおこなわれた北米植民地戦争であり、インディアン戦争である。

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「1812年戦争」「アメリカ=イギリス戦争」「第二次独立戦争」とも呼ばれる。

英米がカナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、大西洋エリー湖オンタリオ湖の領土を奪い合い、

また両陣営がインディアンに代理戦争をさせた。
何か混沌とした時代のようでした。

 

そして、あの誰もがご存知の

 

 

「アメリカの国歌」が作られたのも

 

この年だったのです。

 

 
Oh, say can you see, By the dawn\’s early light, What so proudly we hailed At the twilight\’s last gleaming,

Whose broad stripes and bright stars, Through the perilous fight, O\’er the ramparts we watched Were so gallantly streaming?

And the rockets\’ red glare, The bombs bursting in air, Gave proof through the night That our flag was still there.

O, say, does that Star-Spangled Banner yet wave O\’er the land of the free And the home of the brave?

1812年に始まった米英戦争のさなか、ボルティモアメリーランド州)のマクヘンリー砦での事である。

フランシス・スコット・キーは、捕虜として捕えられた友人の釈放交渉のために英国の軍艦に乗り込んだ。

英国側の司令官は、最終的にはキーもその友人も解放することに同意した。

しかし機密保持のため、英国艦隊が砦を砲撃する間、2人は軍艦内で抑留される事となった。

激しい夜間砲撃の後、夜明けを迎えたキーらは、砦の上に星条旗(その当時は星15個、縞15本)を目にする。

キーは自らの体験を元に、直ぐさま「マクヘンリー砦の防衛」という詩を書いた。

この詩は後に、当時人気のあった酒飲み歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせてアレンジされ、歌われるようになった。

余談だが、「天国のアナクレオンへ」は、作曲家ジョン・スタッフォード・スミスによって1780年に書かれ、

英米で人気を得た曲である。アナクレオンは古代ギリシアの詩人で、恋愛や酒を題材にした詩を書いた人物。

同じメロディが、ルクセンブルクの国歌にも使われたことがある。

キー作詞の「星条旗」は法制化されたのが1931年3月3日で、以前はMy Country, \’Tis of Theeが国歌であった。

 

まさにアメリカの歴史そのもがコルトの人生そのものと言った感じではないでしょうか。

数奇な運命を感じます。

 

コルトを愛した男たち「パットン将軍」

 

 

 今回御紹介致します「コルトを愛した男たち」

第1回目は有名なアメリカの将軍で、最もアメリカらしいと言われた将軍でもあります、

ジョージ・スミス・パットン・ジュニアを取り上げてみました。

パットン1

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ジョージ・スミス・パットン・ジュニア(George Smith Patton Jr.、1885年11月11日1945年12月21日)は

アメリカ陸軍軍人

時代はグーット進んでWW2世界大戦、

映画などで名台詞「大胆不敵であれ!(Be audacious!)」[は良く知られていますが、

パットン将軍と言えばもっと有名なものは腰につるしたSAAではないでしょうか

\"2パットン\" 2パットン この肖像画にも、SAAがしっかり描かれています。

↓ マルシン 金属モデルガン パットン将軍記念モデルです。

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当店オフィシャルhpに細かな映像を載せておりますのでごらんください。

http://www.echigoya-fukuoka.com/minami/modules/bulletin2/index.php?page=article&storyid=1072

モデルガンはジョージ・S・パットンが愛用した製造番号332088のSAA.45を金属製モデルガンで完全再現。

 
実銃について

 

彼が少尉であった1916年3月にコルト社に個人的に注文。
将校としては最下級の少尉にとって分不相応な所持品で、彼の貴族的な一面の表れとも考えられる。
1916年5月14日、国境近くでメキシコ人の襲撃に遭った際、このSAAで1人を射殺、1人に重傷を負わせた。

左側グリップのメダリオンの真下にある2つの刻み目はその時のスコアである(定説です)。

とにかく力の象徴として深くSAAを愛してたようです。

 

今回の作業「バリを取り荒仕上げ」

 

 

それでは前回仮組したパーツをいったん紛失しないようにパーツboxに入れ

各部のチェックをし、バリ(余分な材料、たいやきの周りのビラビラのような物)確認し、

削る所を確認します。

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↓ 銃身の上下やフレームの合わせ、   ↓フレーム内側にもしっかりあります。

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↓グリップとの接合部などは組立や完成に響きます丁寧に処理したいところです。

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銃の心臓部(トリガーパーツが収まる所)は作動に影響しますので丁寧に処理します。

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今回使用する工具です。

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金属のヤスリは5本セットの物で中くらいのサイズが使いやすいと思います。

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紙やすりは#180~400番を今回使います。

\\ごしごし、ガリガリ/とにかくおおよその形になるようざっくり成型していきます。

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ヤスリの目が大きい物は油断すると削らなくても良いところまで削ってしますので、

焦らず慎重に進めてください。

↓内側など特に慎重に行います。

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左右で段差があります、ここは高い方を少しづつ削って調整します。

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↓全面の丸くカーブした所は、ヤスリを形に添って動かし成型します。

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今回はまだパーツをスムーズに入れるための荒仕上げですので成型漏れがないか良く確認して進めてください。

↓紙やすり今回はまず#180番の荒目をあて木に充てて成型とならしを行います。

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紙やすりを使うと結構きれいに仕上がります。

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ここでも余分な所を削らないよう注意しながら行ってください。

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ヤスリ掛け等は結構地味に時間がかかります、焦らずゆっくり手を動かせば必ず先へ進みます、

短気は禁物です。

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いかがでしたでしょうか結構大変だと思いますがめげずに頑張ってください。

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本日はここまで、来週はパーツを付けながらさらに細かく成型と調整をいたします。

それでは次回もお楽しみに。

 

 

 

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